2023.05.18

「父親の最期」

先日、私の父が亡くなりました。

今年の4月の中旬に、体調を崩し、食欲が落ち、5月に入院し、
5月9日に最期のときを迎えました。

急な最期でしたので、訪問看護師の私(娘)が、
父の最期の願い「家に帰りたい」という気持ちを叶えることができませんでした。

急な病状悪化に対して、
病院の医療チームも、最善の治療を探ってくださる中で、手の施しようがないとわかり、治療を断念し、苦痛をとりながら、自宅へつなごう。

明後日家に帰ろう、そう決定した矢先に、間に合いませんでした。

最期のときに、病院に呼ばれた、私たちは、
父の手を握り、額に手を当てて

「あちらの家族に会えるね。もう頑張らなくて、大丈夫だよ。ありがとう。」と伝えると、荒い呼吸だった父が、穏やかに息を引き取りました。

「死に目」とは「死ぬ瞬間」のことではなく
この最期の時間までに過ごした「毎日の時間」のこと

家族が、みんなで父親に気持ちを寄せた毎日がいとおしいと
感じております。

「家に帰りたい」と希望した父親は、病院で息を引き取りましたが、
私たちは十分に父の「死に目」にいたと思います。

私たちと父親が、生きていた尊い時間と思いがあふれます。

最期まで、生き切った父親に感謝しております。