2022.10.17

ユーモアは愛と思いやりのコミュニケーション

「恋するココロミ」令和4年10月12日放送

最近では、このラジオの恋するココロミコーナーを、リハビリをする先生方や、車で移動されるケアマネージャーさん、訪問看護に興味のある高校生さん、遠方に住む友人などいろんな方が聞いてくださっているのが、とてもうれしい限りです。

これまでも、お話してきましたが、「私」は、いろんな考え方に影響を受けて、看護師をしています。これまでも、いくつかご紹介してきましたが、今回は、私のコミュニケーションで「ユーモア」を大事にしております。これは、哲学者アルフォンスデーケンさんのお考えに共鳴したものです。

ちなみに、※「ユーモアとジョークは違うようです。日本ではジョークとユーモアは混同して考えられているようですが、ジョークとは「頭の技術」です。それは言葉の上手な使い方やタイミングのよさのことを指します。このジョークもたまにはユーモアになりえますが、きついジョークは人を傷つけるので、ユーモアではないのです。」

病気をするということは、今までできたことが出来なくなったり、今までの生活ではなくなったり、いろんな生きづらさが生じますね

訪問看護で、お宅に伺うと、利用される方から、しばしば「情けないね。どげんもならん。今までのようにならんね。これからどうしようね。困ったね。つらいね。」など、ご心配のいろんな言葉をおききします。

アルフォンスデーケンさんは、

いろんなことがある「にもかかわらず」わらうことがユーモアであると言われています。

 そして、こうともいわれます

ユーモアの原点は、こころとこころの触れ合いから生まれる、相手に対する思いやりです。私たちが相手を思いやり、愛を示したいと考えるとき、出発点は相手が何を望んでいるかを考えることです。ユーモアはより温かな人間関係を築くための貴重な能力だと思います。

私の訪問で、こんなことがありました。

身体が不自由なご利用者さま。頑張り屋さんで、ご自身でできることは自分でされるのですが、そのかたが、トイレで動けなくなってしまいました。そこで緊急で訪問し、訪問看護師が支援してトイレから救出します。「これから寒くなるね。動けなくなるのは心配。これからどうしようね。」と話されるご本人。

会話しながら、観察してご本人の能力を生かしながら、負担をおかけしないように誘導し、「ほい、ほい」と看護師が介助して、素早くトイレから救出します。それが、想像以上に素早くできたようで、その最中も、「これは本に書きたい出来事だね。すごいねー。」とふたりで泣き笑いしました。

ユーモアは、このような、日常で、いろいろある「にも関わらず」「笑う」ことかと思います。

健康だった人生から、病気をして「生きる」を考える次のステージへ。こころとこころのふれあいから生まれる、相手に対する思いやりがユーモア。難しいことが生じた方が、周りの人と、それを一緒にわらいとばすことができますように、支援を頑張ります。